Yoko`s ストーリー

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Yoko’sストーリー 幼少編

『Yoko'sストーリー 幼少編』をお送りします。

私が生まれた家を書かないで、現在の自分は語れないからです。
今、コーチとして、OfficeYokoとして活動している原点です。

1953年8月28日 愛知県東三河にある豊橋市という比較的温暖な地方に
祖父、祖母、父、母の第一子として生まれました。
その5年後に妹が生まれます。

祖父、祖母はとてもボラティア精神にあふれた人達で、
知り合いの人達を手助けしていたので、
家にはいつも、よその人達が出はいりしていて
忙しいお商売屋さんのお子さん達を預かることもしばしばでした。
親戚も多く、常に人に対して開放しているイメージでした。
それだけ、人が好きだったのでしょうね。

父、母は、大人しく真面目で裏表のない人でした。
それが、時として生きづらさにつながることもありましたが、
その人生は、清々しい程に一本筋が通ったものでした。

祖父母、両親の元に生まれたからこそ、
私の理想~心も家も、人に対して開放しているイメージが出来あがったのだと思います。

そして、今、OfficeYokoが、それに近づいています。
いえ、今までも、学研教室を自宅で開いていたこと、
PTAの役員や民生委員をしていたことも、
ここにつながっているように思います。

この資質を育んでくれた祖父母、両親に感謝します☆

最後まで、『Yoko'sストーリー 幼少編』を読んで頂いてありがとうございます。 
引き続き、『Yoko'sストーリー学校編』を読んで頂けたら嬉しいです。

Yoko’sストーリー 学校編

『Yoko'sストーリー 学校編』をお送りします。

まず、その前に、私の本好きのルーツからお話しますね。
父は私の幼稚園から中学校にかけて、
毎週末には、仕事の帰りに本を買って来てくれました。
このことがなかったら、私の本好きも、
そこからつながる今の人生もなかったと思うほど
大切な出来事です。
買って来てくれる本が良かったのです。
父には、私を本好きにしようとする教育的意図はなかったと思います。
ただ、その時、面白そうな物を、
ただ、直感的に買って来ていたのだと思います。
それが、ドンピシャに、私の気持ちにピタッとはまって、
私は父の本のお土産が楽しみでした。
時には童話、時にはマンガ、時にはジュニア小説。
そのジャンルは多岐に渡り、私はとても楽しみでした。
一方、母は物書きを仕事にして稼いでいる人でした。
当然のように、たくさんの本に囲まれていました。
しかし、当時の私は、専業主婦のお母さんに憧れ、
他のお母さん達とどこか違う母に反発していました。
それが、思春期から結婚するまで続きました。
その母への反発が、私のその後の人生に大きく関わってくることになります。

さて、そんな本好きの私ですが、
学校の勉強はあまり真面目にやっていなかったと思います。
出来るだけ少ない努力で、
いかに良い結果を出すかに特化していました(笑)
高校時代は、入学式で校長先生が、
大学受験の話ばかりしたことにうんざりして、
部活動をやりに高校に通っていた感じでした。
でも、これらも私にとっての必要な経験になっています。
今、思い返してみても、けっして優等生の学校生活ではなかったけれど、
人生には無駄なことは一つもない!
必要なことが必要なだけ起こっていると実感します。
これらのあっちにぶつかり、こっちにぶつかりした経験があったからこそ、
その後の学研教室での指導者へ、
今のコーチとしてのお仕事につながっています。
自分の気持ちに素直に従った学校時代だったかなと思います。

最後まで、『Yoko'sストーリー 学校編』を読んで頂いてありがとうございます。 
引き続き、『Yoko'sストーリー お母さん編』を読んで頂けたら嬉しいです。

Yoko`s ストーリー お母さん編

『Yoko'sストーリー お母さん編』をお送りします。

母はとても文才のある人で、書くことを仕事としていました。
でも、友達のお母さん達とは、どこか違っている母でした。
私は思春期になると、そんな母にあからさまに反発していました。
それは、結婚するまで続きました。

私は専業主婦のお母さん
家庭のこと、子どものことに一心になっているお母さん
いつも家で子どもの帰りを待っているお母さんに憧れていました。
それこそが、『ザ母親』であると思っていました。

でも、自分が結婚してみて気づいたことがあります。
本当の母親の価値とは、外側に見える状態
~働いているお母さん、専業主婦のお母さんという枠に関係なく、

『ありのままの子どもを愛すること』
条件付きではなく、
勉強が出来なくても、性格がひねくれていても、可愛くなくても、
自分に反発していても、例え犯罪者であろうと
『ありのままの子どもを愛する人』であること。

そして、どんな時も子どもの味方であること
子どもを信頼して、尊敬している人であること
私は、私の母がそういう人であったと、今ならわかります。
私がどんなに反発していても、いつもその愛情は変わりませんでした。

結婚してから、一度、生きづらいほど、困ったことがありました。
私は思い余って、母に電話をしました。
当時、母は手押し車を押さないと歩けない状態でした。
「よし!わかった!」
母は手押し車を押して、片側ニ車線、真ん中に複線の市電を挟み、
又、片側二車線の国道1号線を渡り、助けてくれました。
まさに無償の愛です。

私が今、安心して人生を過ごしていられるのも
両親、祖父母、妹から愛されていると
深いところで理解しているからです。
この安心感は、60歳をとっくに過ぎた今なお、
両親、祖父母が亡くなった今でも、
深い安心感をもたらしてくれます。

私も自分の子供達に、周りの人達に、母のような人でありたいと思います。

最後まで、『Yoko'sストーリー お母さん編』を読んで頂いてありがとうございます。 
引き続き、『Yoko'sストーリー 人生を変えたコーチングセッション@マクドナルド編』を読んで頂けれたら嬉しいです。

Yoko’sストーリー 人生を変えたコーチングセッション@マクドナルド編

『Yoko'sストーリー 人生を変えたコーチングセッション@マクドナルド編』をお送りします。

2011年の晩秋
私は心身ともに重たさを感じていました。
仕事では多くの素晴らしい出逢いと事が起こっていました。
反面、私生活では重たさを感じ、そのギャップに苦しんでいました。
その頃、私はすでに他の区に引っ越していて、
間もなく、今まで住んでいた自宅を他の人に貸す為に
引っ越しと断捨離に明け暮れていました。

そんな時に、沖縄のコーチrubyさん のコーチングセッションを受けました。

私が自分の思いをひとしきりrubyさんに話した後、
それを聞いていたrubyさんが、私に質問をしました。
それは、こんな感じで始まりました。

rubyさん 「すべての夢が叶ったとしたら、洋子さんは今、どこにいますか?」
その質問をされた時、
私は、日差しがいっぱい降り注ぐマンションの一室にいる自分をイメージしました。

rubyさん 「その部屋には何が見えますか?」
私 「壁は白くて、日差しが一杯降り注いでいて
赤ちゃんを連れた子育て中のママさん達がいます。
私はそのママさん達にコーチングのワークショップをした後、
皆さんにお茶をお出ししています。ママさん達は安心した顔をしています。」 

私は心のどこかで、このrubyさんとのコーチングセッションは
ここで終わりにして欲しいと思っていました。
それは、無意識に、セッションが進んだ時に気づくかもしれない
自分の本当の心の声を怖れていたからかもしれません。
しかし、rubyさんは更に質問を続けました。

rubyさん 「その後、どうなりましたか?」 
私 「帰って行かれる皆さんを玄関まで送りました。
皆さん、ホッとした、いいお顔で帰って行かれます。」 

rubyさん 「それから、どうなりましたか?」
私 「皆さんが飲んでいかれたお茶のカップを洗っています。」

この頃には、私は、rubyさんとのセッションから引き出される
自分の本当の気持ちから逃げている事を意識しだしていました。
しかし、rubyさんは、更に質問を続けました。

rubyさん 「それから、どうなりましたか?」
その瞬間=rubyさんの質問から逃げる事を止めた瞬間、
私は鮮明にある光景がイメージ出来ました。

私 「あ 自宅の近くの交差点のマクドナルドのクルクル回る看板が見えます。」 

この光景が見えた瞬間、私は本当は何を望んでいたのか
何をしたかったのか、ハッキリ気づきました。
(私は引っ越しをしたくない!)
(ここでコーチングの仕事をしたい!)

今まで握りしめていた重たさから解放され、
体に活力が湧いてくるのを感じました。

rubyさん 「先に進んで下さい。」
私 「どうやら私は引っ越し前の自宅に帰っていくようです。
自宅に向かって坂を歩いています。」
rubyさん 「何が見えますか?」
私 「庭で家族がワイワイとバーベキューをしています。
お嫁のエミちゃんとエリちゃんが、
それは張り切って動いている姿が見えます。
傍らでお孫ちゃんが走り回っています。」

このコーチングセッションの数日後、
私は亡くなった父の声を明け方に聞いたような気がして目が覚めました。
その声は、セッションでイメージした事を後押しするような内容でした。
そして、その日その時間は7年前に亡くなった父の命日であり
亡くなった時間でした。

しかし、一度、自宅を人に貸してしまうと、
7年間は戻れない取り決めになっていました。

でも、バーベキューの中でお孫ちゃんが走り回っていた年齢から
このことは決して、そんなに先ではないなと感じていました。

私は、このセッションのこと、私が気づいたこと、これからどうしていきたいのか
主人に話しました。
彼は私の人生を理解して応援してくれました。
すぐに引っ越し業者の方にキャンセルの電話をしてくれました。
私は主人に深く感謝しています。

そして、主人をはじめ、多くの人の支えで
自宅にOfficeYokoが、翌年1月17日にオープンしました。

このrubyさんとのコーチングセッションの体験は
私自身の生き方を動かしたのと同時に
自分の中のコーチングへの信頼を更に高めました。

OfficeYokoを、皆さんの人生の幸せの応援、サポートの場として、
私自身の人生の前進の場にしたいと思います。

最後まで、 『Yoko'sストーリー 人生を変えたコーチングセッション@マクドナルド編』を読んで頂いてありがとうございます。

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